アメリカ直輸入のタンドラ・セコイア・タコマの新車・中古車を販売しています

コロンブスコロンブス
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オーナーについて

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現在では、国内で最もタンドラ・タコマ・セコイアの良質な新車中古車を扱う専門店を自負しているコロンブスですが、創業からここまでの実績を積み上げるためには、多くの犠牲も払いました。ここでは、お客さまや僕を支えてくれる従業員や家族のために、ここに創業からの物語を記したいと思います。

これは、何百万円もする高級車の購入を私たちに任せてくれるお客さまに対して公開する、コロンブスオーナー「秋葉裕樹」の人生の開示です。そしてあなたへのとてもとても長い手紙です。もしよろしければ、最後まで読んで頂けると幸いです。

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コロンブス誕生秘話

クラスで人気者のムードメーカー「秋葉 裕樹」

コロンブスの創業者「秋葉裕樹」は、1972年8月6日、父安彦、母よし子の元、東京都東村山市に生まれました。子供時代はとにかく目立ちたがりやで活発な少年時代を過ごしました。元気でクラスの人気者、ムードメーカーだった秋葉少年ですが、たったひとつ、他の子供とは違うところがありました。

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「恥ずかしい、見られたくない!」

完治しているため、今ではほとんど人に話すことはありませんが、秋葉少年には「漏斗胸」という胸骨の一部が陥没する先天性の変形を伴う病気がありました。3〜4歳のときに発覚して、お医者さんには「将来、胸がヘコんで肺を圧迫するよ」と言われていました。実際、小学校に入学した頃から症状が出始め、肺が苦しくなり運動が出来ず、見た目も気になりだしたことで手術を決断、小学校3年生と4年生の夏休みを使って、8時間の大手術を2回も行なうことになったのです。それぞれ2ヶ月間も入院生活を余儀なくされました。胸骨を切り離して湾曲を平らにする手術をするのですが、さすがはクラスの人気者の秋葉少年、クラス全員がお見舞いに来てくれたのです。

ところが、クラスのムードメーカーだった秋葉少年、学校の友達と2ヶ月間も離れるのは寂しくてしょうがありませんでした。さらに手術後は体育も見学、プールもだめ、運動が許可されず、我慢の学校生活を送らねばなりませんでした。「なんで俺だけこんな目に合うんだ」いつも、そんな風に思っていました。手術は無事成功して、元気に仕事ができているわけですが、胸骨部分に陥没跡があり、子供の頃はそれを友達に見られるのが嫌で嫌でしょうがありませんでした。

手術後の友だちとの見た目の違いは、最初は嫌で嫌でしょうがなく、友達には知られたくない恥ずかしくて隠しておきたいことでした。そのため体育の授業で着替える時などは、友達に見られないよう、教室の隅みでコソコソ着替えたりするなど、今までの明るい秋葉少年とは違ってしまったのでした。

「もういいや、全部ぶっちゃけよう」

手術後の傷跡を隠す学校生活をするうち、だんだん自分のことが嫌になってきたのです。何でも話すクラスの人気者だった秋葉少年、手術後は自分の体を見られることが苦痛になり、行動も控えめになっていましたが、ある日「もういいや。全部ぶっちゃけてみんなに知ってもらおう!」と踏ん切りをつけることが出来たのです。その日以降、強がって自分から「見てみて!すごいでしょう!このキズ!」なんてやっているうち「なんだ、たいした事無いじゃん!」と思えるようになったのでした。

知られたくないことで嘘をついたり、何かを隠そうとするのではなく、良い事も悪いことも、何でも正直に話してしまった方が、気が楽になり、楽しく生きられる事に気づいたのです。小学生なりに「な〜んだ。嫌なことでも恥ずかしいことでも正直に自分から話しちゃった方が、気が楽だな。」と思えるようになりました。この小学校時代体験が、僕の原体験になっています。

「正直に、すべてぶっちゃける」

コロンブス代表秋葉裕樹のモットーは「正直に生きる。前向きに生きる。嘘をつかずに嫌なこともぶっちゃける。」です。この事は、子供の頃の大病から学んだことで「正直に自分の思った通りに生きることが、結局は一番ラクなんだ」と考えることが出来るようになりました。これは、今のコロンブスの指針になっています。

たとえば、他では隠してしまうようなこと、他店では、アメリカで仕入れたときにキズがついているバンパーを、隠して色を塗ったりするようなケースはたくさんあるわけです。なぜなら、アメリカの整備記録を輸入時に破棄してしまえば、日本では調べようも無いからです。実際、中古車などはアメリカの事故歴や修理歴が無いとされて日本に輸入されているタンドラがたくさんあるのが現状です。

ですが、僕にはそれをすることができません。隠すより、嘘をつくより、お客さんに正直に話してしまった方が、結局は良いのです。「正直に商売をする」そんなコロンブスの指針は、オーナー秋葉裕樹の幼少期の実体験がベースになっています。

バイクに熱中した青年時代

幼少期の体験を克服した秋葉少年、16歳の頃には、二輪の免許を取得してバイクの楽しさに目覚めました。はじめて買ったバイクは「TZR250」という2ストロークのスポーツバイクで、父に買ってもらい、アルバイトをしながら毎月1万円を返す約束だったのだけれど、もしかしたら最後まで返済して無いかも(笑)

高校3年生の時にはカー用品店でバイトをスタート。すると、そこの社員さんやアルバイトが、埼玉の「秋ヶ瀬サーキット」でミニバイクレースに参戦していて「これだ!」と思って早速僕ものめり込みました。バイト代をつぎ込みミニバイクレースに熱中。毎回転倒してその度修理をするはめに・・そうこうしているうち、1991年に先輩が筑波サーキットの練習走行に連れて行ってくれたのですが、そこでもまた大感激。その日に「これだ!」と思って「NS50」から「NSR250」に乗り換え、秋ヶ瀬サーキットから、筑波サーキットに毎週競技車両をハイエースに積んで行く生活になったのです。

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「才能なし」と呼ばれた男

筑波サーキットでは、関東選手権にチャレンジ、3年間の間一度も予選も通過することができず、4年間全く目が出ないため、周りからは「才能なしだな、秋葉は」と呼ばれ続けていた男が、1996年5年目にして急にランキング6位入賞。翌年はランキング2位まで上り詰めたのです。で、その後どうなったと思いますか?なんと国際A級全日本ロードレース選手権に参戦する資格が得られたのです。

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プロレーサー「秋葉裕樹」誕生

1998年と1999年の2年間、全日本GP250選手権をプロレーサーとして参戦しました。これを読んでいるコロンブス顧客のあなた。私が元プロレーサーだったことは、ほとんどの方が知らないと思いますが、今度お店でお会いした時には羨望の眼差しで見るようにしてください。「国際A級ライダー(元)」です。もっとも、その後はバブル崩壊でスポンサー(BPとヤマハ発動機)が付かなくなり引退することになるのですが・・・それでも「元プロレーサー」という肩書を持つ男なのです。まあまあすごいでしょう?

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カナダでスノーボードしながらバイク販売

そんな感じで、16歳の頃からバイクレース一筋だったもので、流行りの遊びというものを全くしらなかったこともあり、バイクレース引退後は少しお休みすることにしました。レースばかりで、スキーやサーフィンも知らない人生だったので、1年間遊びまくりました。よくある「自分探しの旅」というやつです。

日本のスキー場が春を迎えて雪がなくなると「次は海外だ!」と、カナダまでスノーボードをやりに出かけたのでした。本場カナダでは、毎日スノーボードばかりして過ごしていました。その間のお金はどうしていたかって?そうですよね。元プロレーサーの蓄えでは、カナダでスノーボード三昧の人生を過ごすことはできません。カナダ滞在中は、バイクの輸出入を勉強して日本のバイクをカナダに送ったりして、現地の生活費を稼いでいたのです。日本の知り合いからバイクをカナダに送ってもらい、そのバイクを現地のバイク屋さんに転売したりしながら、現地で遊んで暮らしていたのです。

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フラッグスタッフ駅での出会い

「お前、キューバにクルマを売ったら大儲けできるぞ」

カナダ滞在中の間に、アメリカへ観光旅行に遊びに行った時のことです。アリゾナ州のフラッグスタッフ駅という駅で乗り換えを待っていると、電車のダイヤ乱れに合ってしまい、1日中誰も居ない駅でいつ来るかわからない電車を待っていた時のことです。アメリカの片田舎の駅なので、本当に誰もいないのです。ぼおっと駅でいつ来るかもわからない電車を半日間待っていると、1人の男が駅にやってきました。

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フラッグスタッフ駅で半日ぶりに人間を見たので、うれしくて話しかけに行くと、なんと日本人だったのです。その男はアメリカ在住の日本人で、アメリカを旅行中でした。アリゾナ州の片田舎の駅で半日ぶりに会った相手がなんと日本人だったという奇跡のような出会いで話も弾んだのですが、ふとしたことからクルマの話になり、その彼が以前出張で勤めていたキューバで、日本車がバカ売れしている、という話を聞いたのです。「お前ならキューバで日本車を売れば大儲けできるぞ」と言い残し、その男は反対方向の電車に乗って去っていきました。

アリゾナ州のフラッグスタッフ駅で思ったことは「やはり俺ができる仕事はバイクやクルマのことしか無い!これだ!」と思い、次の日カナダに帰り、翌日に日本行きの飛行機に飛び乗って日本に帰り、すぐにクルマやバイクの輸出入を行なう仕事を本格的に開始しましたという、嘘のような本当の話なのです。

早速、同じ元プロレーサーで海外との輸出入をやっていたレース仲間に「キューバで日本車がバカ売れだから、キューバにクルマを送りたい」と相談したら、「よし!俺の知り合いでクルマの輸出をやっているスリランカ人がいるから紹介してやる」と言われ、そのスリランカ人に会いに行くことにしました。紹介してくれた翌日に飛行機のチケットを取って、スリランカまで会いに行ったのです。僕の行動はすべて「翌日」です。

スマトラ島沖地震

バイク仲間から紹介されたスリランカ人に会いにスリランカに行くと、ちょうど隣の国で発生した「スマトラ島沖地震」の直後で、そのスリランカ人は「お前、地震で大混乱の中、こんなときによく来るな」と言われてしまったのです。

で、その紹介されたスリランカ人は、ただの“バイク仲間の知り合いだっただけだった“、ということが判明したのです。バイクもクルマも輸出のことも何も知らない、ただのスリランカ人だったことが判明しました。僕は、一体何のためにスリランカまで来たのでしょうか?

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しょうがないので、とりあえずスリランカで日本のクルマやバイクを買ってくれる人を自力で探すことにしました。不幸中の幸いというか、大地震の直後で混乱状態だったスリランカでは、クルマが全く足りず、輸出入の素人だった僕からでも日本のクルマを喜んで買ってくれたのです。

現地のバイヤーに日本のクルマやバイクを買わないか?と持ちかけると「クルマが無いからすぐよこせ」と言われて、日本からクルマを輸出するようになったのです。で、早速日本に帰って、オークション会場の会員になり、めぼしいクルマやバイクをスリランカに輸出するようになりました。

50台のスーパーカブ地獄

スリランカで出会ったバイヤーのひとりが「50台のスーパーカブとクルマ2台を今すぐに送れ」というので、日本国内のオークション会場から貯金をはたいてスーパーカブを50台も買い占め、いざスリランカに輸出しようと連絡すると「地震でスリランカ港が壊滅しているのでしばらく受け取れない。(永遠に)待ってくれ。」と言われて絶望するハメになったのです。

3日間泣きつくしてから、買い集めたスーパーカブ50台とクルマ2台を、なんとヤフオクで全部売り切ったのでした。この経験から「スリランカに輸出しなくても国内でも売れるじゃん」と言うことに気づいたのです。ちなみにこのスーパーカブ50台、実家の庭にこれでもかと詰めて並べて保管していました。今でも実家の庭にギュウギュウに並んだカブの夢を見ることがあるのですが、その度に辛い思いをしています。

アリゾナ州のフラッグスタッフ駅で、最初はキューバへの輸出をやろうと思ったのですが、国内の自動車販売も面白いんじゃないかと考え直し、クルマやバイクの国内販売をするようになったのです。

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「バイクを乗せるクルマにタンドラ良いじゃん!」

国内で買い付けたバイクを運ぶクルマが必要になり、以前所有していたハイエースより格段に大きくてデカイクルマ、タンドラが欲しくなったのが、タンドラとの出会いです。アメリカやカナダで見慣れたタンドラなら、バイクを乗せるのに単純にかっこいいと思い、バイクを運ぶためにタンドラを買うことしたのでした。

そこでふと思ったのです。「ちょっと待てよ・・タンドラなら日本の自動車オークションで少ない在庫の中から無理して探さなくても、アメリカに行けば掃いて捨てるほどたくさんあるよな・・」と言うことになり、アメリカから直接買うことにしました。 で、翌日、アメリカ西海岸行きのチケットを取り、アメリカへタンドラを買いに行ったのが、僕にとってのタンドラ輸入車1号なのです。

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「せっかく来たから2台買おう」

たくさんのカブを運ぶためにタンドラを買いにアメリカへ来たつもりだったのですが「せっかく来たんだから2台買おう」と、アメリカでタンドラを2台買うことにしました。日本に2台のタンドラを持ち帰って、1台は自分で乗って、もう1台を売りに出したらすぐに売れたのです。

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「タンドラ売れるじゃん」

アメリカで2台買ったうちの1台は、富士山の麓の近くに住んでいる女性のお客さまがご購入頂きました。お子様がモトクロスをしていて、母子で全国のモトクロスレースに参戦している親子がお客さまでした。タンドラで全国を渡り歩くような家族でした。丁寧にメンテナンスとクリーニングを行い、静岡まで届けに伺ったことを、昨日のように思い出します。

直接自分が納車に伺い、その場でクルマと引き換えに支払いして頂き、その支払を確認した翌日に、またアメリカ行きのチケットを買って、タンドラを仕入れに行ったのです。そうして今度は2台のタンドラを買い付けました。

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で、今に至り、こうなっています
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2台仕入れて1台を売り、そのお金でまたアメリカに2台買いに行き、ということを繰り替えて今に至ります。販売台数や在庫が増えたことでお店を移転したり、現地のトヨタに800万払ったところで、そのディーラー倒産してえらい目にあったりしたこともありましたが、アメリカで2台のタンドラを買い付けた当時から今に至るまで、誰に対しても正直に商売をやってきました。

アメリカの仕入先のトヨタや営業マンに対しても、国内の顧客やコロンブスのクルマを見に来てくれたお客さんに対してもです。変に隠したり強がったりしても、結局良い事はないのです。正直に仕入れて、正直に運んで売って、正直にアフターフォローを続けることで、信頼関係を築いてきました。小学生の頃、何でもぶっちゃけて、正直に生きてきたからこそ、今があるのです。

そんな、ぶっちゃけた正直な性格が評価され、信頼が得られたのではないかと思っています。子供の頃に実体験から感じた、自分の気持に正直に、嘘をつかず何でも前向きに取り組む気持ちを今でも忘れず、誠実に、正直に、タンドラを販売していきたいと思っています。

コロンブスオーナー秋葉裕樹は、話を聞いたら即行動。人を疑うこと無く即行動。そんな感じで、いままでアメリカからタンドラを輸入して実績を積んできました。これからも、自分の気持に正直に、誰にも嘘をつくこと無く、本当に安心して乗れるタンドラをアメリカから見つけてきたいと思います。

1492年 クリストファー・コロンブスが新大陸を発見

ここまで、僕の長い身の上話に付き合ってくれてありがとうございます。最後に「コロンブス」という店名の由来について説明して、あなたへの、コロンブスのオーナー秋葉裕樹の長い話を終わりにしたいと思います。

「才能なし男」と呼ばれ続けて5年間全く芽が出なくても「あいつは絶対ダメだ」と言われ続けても、諦めずに頑張れば、こんな僕でもバイクレースで全日本選手権という「新大陸」を手に入れることができました。スリランカに行った時もそうでした。友人知人に「お前は馬鹿だなぁ絶対ダメだろ」と言われても、自分を信じて行動し続ければ、僕にとっての新大陸「タンドラの輸入販売」という新大陸を見つけることができたのです。

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当時「そんな大陸はあり得ない」と言われても、自分を信じ、大西洋を大航海して新大陸を見つけたコロンブスのような人物になりたいと考えたことがきっかけで、店名に「コロンブス」という名前をつけようと思いました。

僕たちタンドラ専門店の「コロンブス」が扱うタンドラは、アメリカで「スーパーセンシティブガイ、自分で見ないと気が済まない男」と呼ばれる僕が慎重に仕入れを行い「12ヶ月点検に12時間かける男」が慎重にメンテナンスを行い「ぶっちゃけ男」がクルマの様子を正直にあなたにお伝えします。日本国内のどんなお店にも負けないくらい販売前に手が入ったタンドラは、全国どこの方が買ってくれてもきっと満足して頂けるはずです。

そして何より、僕自身が、タンドラという魅力あふれるクルマに出会ったおかげで人生が変わり、豊かな実りある人生を歩むきっかけになりました。コロンブスのタンドラは、あなたが購入した後、あなたのライフスタイルや人生観を変えるきっかけになるはずだと信じています。そのくらいコロンブスのタンドラには魅力があるのです。

あなたも、コロンブスのタンドラで、あなた自身の新大陸を見つけて欲しいと思います。

有限会社コロンブス 代表取締役 秋葉裕樹
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